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第10回:反クチュールというポジション(前編)―ファッションの場の力関係

二十世紀後半まで、パリのファッション界において正統性を保証していたのはオート・クチュールでした。高度な仕立て技術、身体に密着するシルエット、そして上流階級の顧客に支えられた優雅さこそが、「良いファッション」の基準とされていたのです。この秩序を遵守することが、多くのデザイナーにとって成功を意味していました。

しかし、一九七〇年代以降にパリへ進出した日本人デザイナーたちの多くは、この価値体系の内部に同化する道を選びませんでした。彼らはクチュールの規範を洗練させるのではなく、その前提そのものをずらす位置に立ったのです。安価な素材、日常着に近いデザイン、身体の線を強調しない衣服構成、さらには民族衣装やストリート文化への参照といった試みは、当時のクチュール的美意識から見れば逸脱と映りました。

重要なのは、これらが技術不足や周縁性の結果ではなかったという点です。むしろそれは、支配的であったクチュールの価値に対して距離を取り、既存の美的規範とは異なる差異を強調する戦略的な立場でした。社会学者ピエール・ブルデューが指摘するように、文化的な〈場〉において新参者は既存の規範を模倣するのではなく、それに対抗する差異を打ち出すことによって自己の位置を確立することがあります。日本人デザイナーたちが占めたのは、まさにこの「反クチュール」と呼びうるポジションだったのです。

ブルデューは、このような現象を文化の〈場〉における「新参者の戦略」として説明しています。すでに強い権威を持つ中心的な存在と同じ規範で競争することは、新たに参入する者にとって必ずしも有利ではありません。そのため新参者は、既存の価値体系をそのまま受け入れるのではなく、若さ・革新・未来性といった美学的要素を強調することで差異を際立たせ、ときには既存の価値の序列を反転させるような形でファッションの場の力学に介入します。反クチュールという立場はまさにそのような戦略の一例として理解することができるでしょう。

日本人デザイナーのパリ進出を考えるうえで、まず触れておくべき存在が森英恵です。森は一九七七年にオート・クチュール組合の正式メンバーとして迎えられ、日本人として初めてクチュールの制度的中心に参入しました。彼女の作品は、洗練された仕立て技術と優雅な装飾性を備え、上流階級の顧客層に支持されていました。森の活動はパリのクチュリエたちが共有していた価値体系と大きく矛盾するものではありませんでしたが、彼女の成功は、西洋以外のデザイナーがパリでいかにして正統性を獲得するのかを示す典型的な事例でもありました。すなわち、既存の美的規範や制度的枠組みに適合し、その内部で評価を獲得するという道です。高度な技術、エレガンス、そしてクチュールが長年培ってきた伝統への連続性が、正統なファッションとして認知される条件であったのです。

しかし、その後に登場する日本人デザイナーたちは、この道を必ずしも追いませんでした。森英恵がクチュールの制度的中心に参入したのに対し、一九七〇年代にパリへ登場した高田賢三と三宅一生は、その周縁に位置しながら差異を強調します。高田が一九七〇年にパリで最初のコレクションを発表した当時、十分な資金を持っていたわけではありませんでした。安価な生地を用い、ヒッピースタイルや若者文化から着想を得た色鮮やかな衣服は、伝統的なクチュールが重視してきた高級素材や職人的威厳とは明確に異なるものでした。しかし、その「軽やかさ」や「日常性」こそが当時のパリのファッション界において既存のクチュール的価値とは異なる魅力として受け止められ、次第に評価されていきます。

三宅一生もまた、一九七三年にパリでコレクションを開始した際、木綿やキルティングといった素材を用い、Tシャツやジーンズを想起させるカジュアルな衣服を提示しました。身体を理想的に装飾することを目的としてきたクチュールに対し、彼の服は身体と衣服の関係そのものを問い直すものでした。重ね着やドレーピング、包み込むような構造は、衣服を固定された形態としてではなく、動きや生活の中で変化する存在として提示したのです。

この時期、パリのファッション界ではすでにオート・クチュール中心の秩序が揺らぎ始め、プレタポルテが新たな主戦場となりつつありました。イヴ・サン=ローラン、ソニア・リキエルといったデザイナーたちは、上流階級のためのエレガンスではなく、若さや自由、ストリート文化を参照することでディオールやバルマン(英語版Wikipedia参照)らの既存の支配的様式に対抗していました。高田や三宅が占めたのも、まさにこの転覆的な位置でした。

このように見たとき、日本人デザイナーの登場は「新しいデザインの流行」としてではなく、ファッションの場における力関係の再編として理解することができます。そして彼らのパリでの活動は、同じ道を歩んだわけではありません。クチュールの制度的中心に参入した森英恵、プレタポルテの領域で新しい日常性を提示した高田賢三と三宅一生というように、それぞれが異なる位置からパリのファッションの場に関わっていったのです。次回は川久保玲と山本耀司が反クチュールというポジションでかつてないほど激しく抵抗した様子を見ていきます。

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