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第12回:日本人としてのポジション ― 文化的差異を戦略的に取り込む

一九八〇年代初頭、パリのファッションの場では、川久保玲と山本耀司が中心的な存在として注目を集めるようになりました。彼らは反クチュールのポジションを取ると同時に、日本の伝統的美学や衣服の特徴を取り入れることで「日本人」としての独自のポジションを築いていきました。

振り返ってみると、パリで評価を得た日本出身のデザイナーたちは、いずれも何らかの形で日本的要素を作品に取り入れています。森英恵は華麗でモダンなドレスに日本の伝統的な花鳥風月の文様を添えたり、日本に長い伝統を持つ絹織物に着目し日本製のシルクを好んで用いて華やかで異国的な魅力を表現しました。森は、一九六五年に初めて海外でコレクションを開催した当時を振り返り、国際市場で戦うためには日本人としての独自性を表現する必要があると考えていたと語っています。色や形、素材を通して日本的感覚を表現する方法を見出そうとした彼女の試みは、その後パリで活動する日本人デザイナーたちに共通する課題でもありました。

高田賢三と三宅一生は日本文化の工芸的伝統に目を向け、より日常的な要素から着想を得ました。高田は日本の農村部において伝統的に使用されてきた綿素材を好んで用いるとともに、農民や労働者の衣服からも着想を得て、色彩豊かな重ね着のスタイルを広めました。三宅もまた刺し子、鬼楊柳、しじら織といった日本の伝統的な織物に着目し、それらを機械技術によって再活性化しました。さらに両者は織物の文様だけでなく着物の形態や構造にも注目しました。身体に密着する西洋の衣服とは異なり、着物は平面的な構造と直線裁断によって作られ、衣服と身体のあいだにゆとりのある空間を生み出します。高田と三宅はこうした特徴を再解釈し、ゆとりのあるオーバーサイズの仕立てや、着物特有の平面構成を現代の衣服の中で展開しました。

川久保と山本は日本の伝統的な衣服や素材だけでなく、黒を多用し、布が引き裂かれたようなデザインを発表しました。特に川久保が一九八二年に発表した、ところどころに穴が開いた左右非対称のセーターは、不完全性や不均衡を肯定する日本的な美意識を想起させるものでした。このような作品は、西洋のファッションが長く重視してきた「調和」「完成」「装飾」といった美の概念と正面から衝突するものでした。したがってそれらは反クチュールの流れを受け継ぐものであると同時に、日本という独自の文化的背景をもつデザイナーだからこそ提示できた表現でもありました。

ピエール・ブルデューは、文化的生産の場において新規参入者が認知されるためには、支配的な位置にいる者との差異を明確に示す必要があると指摘しています。フランス以外、とりわけ非西洋出身のデザイナーにとって、自国固有の文化的要素を作品に取り入れることは、その差異を示す有効な手段でした。

ブルデューの試みたファッションの場の考察はアンドレ・クレージュやエマニュエル・ウンガロのような一九六〇年代に活躍したフランス出身のクチュリエが大半であり、他国出身のデザイナーがどのようなポジションを占めるかについては十分に論じられていません。彼の示唆に富む場の考察を川久保や山本が参入する一九八〇年代のファッションの場に当てはめるならば、パリではもはや旧ブルジョアジーと新興ブルジョアジーといった階級関係だけではなく、フランスとそれ以外の国、あるいは西洋と非西洋といった地政学上の対立が際立つようになったと考えられます。川久保や山本はフランス以外の国または非西洋側のポジションに身を置き、完璧で洗練されたパリのファッションの伝統を守ろうとするフランスのデザイナーに対して不完全性や無装飾性を強調する美的戦略で挑戦しました。

こうして一九八〇年代のパリでは、ファッションの場の対立構造も変化していきます。それまでのようにフランス内部のデザイナー同士の競争だけではなく、フランスとそれ以外の国、あるいは西洋と非西洋という地政学的な対立がより明確になりました。川久保と山本はこの新しい対立構造の中で、日本人というポジションを戦略的に用いながら、パリのファッションの伝統に挑戦したのです。

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