第15回:意味を規定する者たち - 一九八〇年代初頭、メディアはいかに日本人デザイナーを位置づけたか
前回までみてきたように川久保玲と山本耀司の登場は、一九八〇年代初頭のパリに大きな衝撃を与えました。しかし、その衝撃がどのように理解され、評価されていったのかを考えるうえで重要なのは、デザイナー自身の創造性だけではなく、それを取り巻くメディアや批評の存在です。
この点について、ピエール・ブルデューは、文化生産の過程には単なる物質的な作品の制作だけでなく、「価値の生産」すなわち象徴的生産が伴うと指摘しています。作品は、それ自体として自動的に価値を持つのではなく、批評家や編集者、ジャーナリストといった人々によって評価され、意味づけられることで初めて正統なものとして認知されます。
ブルデューが「文化的媒介者」と呼ぶこれらの人々は、生産者と消費者のあいだに位置し、作品に価値や意味を付与する役割を担っています。ファッションの領域においては、雑誌編集者、新聞記者、バイヤーなどがこれにあたり、彼らの言説はデザイナーのポジションを大きく左右します。肯定的に評価されれば中心へと近づき、否定的に位置づけられれば周辺へと押しやられるのです。
実際、日本人デザイナーに対する反応は一様ではありませんでした。一九七〇年代に活躍した高田賢三は、当初フランスの編集者から「常識外れ」と驚かれながらも、その自由で明るいスタイルが若者たちに支持され、国際的な評価を獲得しました。また、三宅一生も、伝統とテクノロジーを融合させたデザインによって比較的好意的に受け入れられ、早い段階から制度の内部で理解されていきました。
しかし、川久保と山本の登場は、こうした受容の枠組みを大きく逸脱するものでした。彼らの服は、身体の輪郭を強調する従来の美学を否定し、非対称や黒、引き裂かれたような表現を用いることで、「美しさ」そのものの定義に疑問を投げかけました。その結果、メディアの反応は賛否両論に大きく分かれることになります。
一部の批評家は彼らを新しい美の提示者として高く評価しましたが、他方では強い拒否反応も見られました。海外メディアは彼らの作品を「醜い」「女性らしくない」「体を美しく見せない」と批判し、黒を基調としたスタイルは「葬式」のようだと評されました。さらにフランスの新聞は彼らの服を「浮浪者のファッション」と呼び、既存の美意識から逸脱したものとして周縁化しようとしました。
こうした批判は単なる美的評価にとどまらず、ファッションの場における秩序を維持する働きを持っていました。文化的媒介者たちは、新しい試みが既存のルールの範囲内にある限りは歓迎しますが、その枠組みを根底から揺るがすような挑戦に対しては否定的な言説を用いることで、場の安定を保とうとするのです。
さらに重要なのは、これらの評価が文化的アイデンティティと強く結びついていた点です。多くのメディアは彼らの作品を「禅」や「侘び寂び」といった日本的伝統に結びつけ、「侍」「僧侶」といったイメージで語ることで、その異質性を強調しました。このような言説は一見すると文化的差異の承認のようでありながら、実際には彼らを「西洋とは異なる存在」として位置づけ、中心から距離を置く効果を持っていました。
これに対し山本は、自らを「日本人デザイナー」としてではなく、世界で活動する一人のデザイナーとして見てほしいと語り、川久保もまたそのような分類に対して距離を取る姿勢を示しています。彼女たちの試みは、日本文化の表象としてではなく、新しい普遍的な表現として理解されることを志向していたのです。
しかしながら、こうした否定的評価もまた固定的なものではありませんでした。一九八〇年代後半から一九九〇年代にかけて、マルタン・マルジェラらによって同様の表現が「デコンストラクション」という概念で再解釈されると、かつて批判されたスタイルは新たな価値を持つものとして再評価されていきます。ここに見られるのは、作品そのものが変わったのではなく、それを解釈する枠組みが変化したという事実です。
以上のことから、日本人デザイナーの挑戦は、単に創造的であっただけでなく、それを取り巻く言説によって大きく規定されていたことが分かります。ファッションにおける価値は、デザイナーの手だけでなく、文化的媒介者たちの言葉によって形成されるのです。
したがって次に問うべきは、このような「誤読」や「異質性の強調」が、いかにして最終的には価値へと転換されていったのかという点です。日本人デザイナーの評価の変遷をたどることで、ファッションにおける価値生成のメカニズムをさらに明らかにしていきます。
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