第2回:パリを魅了した“日本趣味”――ジャポニスムの誕生
1980年代初頭、パリ・コレクションのランウェイに黒を基調とした服が並んだとき、観客は大きな衝撃を受けました。登場したのは 山本耀司や 川久保玲といった日本人デザイナーたちです。 華やかで身体を強調するスタイルが主流だったパリにおいて、彼らの作る服は「黒の衝撃」と呼ばれ、称賛と困惑の両方を巻き起こしました。ファッション誌や新聞は、彼らを「謎めいた日本人」「前衛的な東洋の使者」と書き立てています。
では、なぜ彼らはここまで「異質な存在」として受け止められたのでしょうか。その背景には、西洋が長い歴史の中で日本文化を「エキゾチックなもの」「神秘的なもの」として描き続けてきた構造があります。19世紀の ジャポニスムの時代には、着物や浮世絵が「東洋の幻想」として熱狂的に消費されました。その延長線上に、1980年代の日本人デザイナーたちも位置づけられたのです。文化理論家 エドワード・サイードは、このような西洋からのまなざしを「 オリエンタリズム」と呼びました。
この「エキゾティックな日本人気」の起源は19世紀末にさかのぼります。19世紀末のパリ、街角のカフェやアトリエには奇妙で魅力的な“日本のかたち”があふれはじめました。 浮世絵の鮮やかな色彩、扇子の繊細な曲線、茶道具の静謐な美――ヨーロッパの人々はそれまで知らなかった異国の美に心を奪われ、この熱狂こそがジャポニスムの誕生だったのです。
1867年のパリ万国博覧会では、日本の工芸品や装飾品が初めて本格的に紹介され、大きな注目を集めました。この展示を契機に、浮世絵や陶磁器は画家やデザイナーの創作意欲を刺激し、ゴッホやモネもその影響を作品に取り入れるようになります。
しかし、こうした博覧会の展示は単なる「文化交流」の場にとどまりませんでした。文化人類学者 Henrietta Lidchi(1997)が指摘するように、19~20世紀の国際博覧会や博物館は、ヨーロッパの帝国主義的な視点を支える装置でもあったのです。展示物は進化論的な序列に従って並べられ、「文明」と「未開」を対比させる仕組みを強化していました。オックスフォードのピット・リヴァーズ博物館はその典型例であり、さまざまな民族文化を「歴史の発展段階」として位置づけ、序列化したのです。
この枠組みのなかで、日本の工芸品もまた「異国的」「原始的」として表象され、西洋の観客には“エキゾチックな他者”として映し出されました。つまりジャポニスムは、美術的な革新をもたらす一方で、帝国主義的な視線によって形成された現象でもあったのです。
今日、パリの美術館で目にする浮世絵の展示や、現代デザインに息づくジャポニスムの影響は、140年以上前の万国博覧会に端を発する日本ブームの名残です。その背後には、美術の新しい可能性を切り開く創造性と、帝国主義的なまなざしという二重の文脈がありました。華やかでありながら複雑な文化交流――それこそがジャポニスムの魅力であり、また問い直されるべき歴史なのです。