第5回:ファッション・メディアがつくり上げた「日本的」イメージ
1980年代初頭、三宅一生、川久保玲、山本耀司といった日本人デザイナーがパリで大きな注目を集めたとき、 ファッション・ジャーナリストたちは彼らの作品をしばしば「日本的なもの」と結びつけて解釈しました。 無地の黒、身体の線を曖昧にするシルエット、左右非対称、布を包むような構造── こうした新しさを説明するために選ばれた語彙が、 「禅」「侘び寂び」「武士道」「着物」といった文化的キーワードだったのです。
一見すると日本文化への敬意のようにも見えますが、 同時に日本を“エキゾチックな他者”として捉える枠組みを強化する側面もありました。 デザイナー個人の創造性よりも、「日本らしさ」という既成のイメージが、 説明の軸として優先されたのです。
その典型例が、ファッション記者レノア・ニックリン(1984)の記事 How Japan captured Paris and Fifth Avenue です。 ニックリンは日本の新しいファッションが注目された理由を松田光弘に尋ね、 松田は「自然素材のゆったりした服を求める時代の流れに合致したから」と、 きわめて合理的に答えています。 ところがニックリンはその説明よりも、 通訳者ランディの「禅を理解すれば分かる」という助言を重視し、 さらに日本人論で知られる中根千枝の 「日本人は非合理で考えが揺れ動く民族である」という言葉を引用します。
松田の説明はデザインの潮流として明快でした。 しかしニックリンはそれを受け取らず、 あらかじめ持っていた「日本人は神秘的で非合理的」という ステレオタイプの方向へと意味をねじ曲げてしまったのです。 この読み替えは、日本を文化的に固定化しようとする オリエンタリズム的なまなざしの典型と言えるでしょう。
こうした解釈が1980年代に広まった背景には、 日本人の特性や文化を単一の本質に還元して語る 日本人論の大流行がありました。 中根千枝の「タテ社会」論、土居健郎の「甘え」論、 1970年代後半に大量出版された「日本とは何か」を語る書籍群── これらは日本人を「集団志向」「調和」「自然との共生」といった特性にまとめあげ、 文化を固定化する傾向を持っていました。
日本人論は、西洋のジャーナリストにとって非常に “使いやすい日本の説明装置”となりました。 特に着物については、Goldstein-Gidoni(1999)が指摘するように、 「日本人の心」「日本の気候」「身体性」などの象徴として語られることが多く、 そこから“エキゾチックな日本像”が容易に導かれたのです。
川久保玲の1981年パリコレ初参加では、 布を体に巻きつける技法や農漁村の作業着素材の使用が注目されました。 確かにそこには日本の衣服文化の影響が見られます。 しかし川久保自身は、特定の文化的本質に回収されることを望まず、 むしろそうした本質主義的な理解から距離を置きたいと語ってきました。 それでも、西洋側が“日本らしさ”を読み取ることを求め、 デザイナー側がそれに応答せざるを得ない状況が存在していたのです。
酒井直樹 (1989) が述べるように、「普遍性(西洋)と特殊性(日本)は対立するのではなく、互いを補完してしまう」構図の中では、 日本人デザイナーが“日本らしい”と解釈されればされるほど、 パリという中心の普遍性はむしろ強化されます。 つまり、日本が「特殊」であればあるほど、 パリは「普遍」の中心として安定するのです。
こうした枠組みのもとで、 日本人デザイナーの成功はしばしば 「エキゾチックな差異の提供」として語られました。 そこには創造性そのものへの評価というより、 日本を文化的他者として位置づける視線が 色濃く反映されていたのです。
参考文献
Nicklin, Lenore(1984) 'How Japan captured Paris and Fifth Avenue”, The Bulletin, 15 May: 58-62
Goldstein-Gidoni, Ofra(1999) 'Kimono and the Construction of Gendered and Cultural Identities”, Ethnology. Vol.38. No.4. Fall: 351-370
Naoki Sakai(1989), 'Modernity and its Critique: The Problem of Universalism and Particularism' in Miyoshi, Masao and H.D.Harootunian (eds.) Postmodernism and Japan. Durham, NC:Duke University Press
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