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第6回:「日本人デザイナー」という呼び名への違和感

1980年代、パリ・ファッション界で日本のデザイナーたちが注目を集めるようになると、「日本人デザイナー」という言葉が頻繁に使われるようになりました。三宅一生、川久保玲、山本耀司は、しばしば同じ文脈で語られ、個別の作家というよりも、一つの集団として扱われることが多かったのです。しかし、彼ら自身はこの呼び方に強い違和感を抱いていました。

とりわけ三宅一生は、「日本人デザイナー」というラベルで括られることに一貫して抵抗してきました。彼は自らの服が国籍によってではなく、個人の創造性によって解釈されることを望んでいたのです。初期には日本の伝統的な素材や技法に向き合った時期もありましたが、その後の創作は急速に文化的な境界を越えていきました。彼の関心は、日本か西洋かという二項対立そのものを問い直すことにありました。

しかし、この問題は三宅一人の姿勢にとどまりません。川久保玲や山本耀司もまた、国籍による分類に対して明確な距離を取ってきました。山本は、パリで最初にコレクションを発表した際、メディアから繰り返し「日本的だ」と叫ばれたことに驚いたと語っています。自分たちが行っている仕事は極めて国際的なものだと考えていたからです。彼は「服に国籍はない」と述べ、日本人として生まれた事実と、自分の服が「日本を代表するもの」として扱われることとは別だと強調しました。

川久保玲も同様に、「日本人デザイナー」という分類に疑問を投げかけています。彼女は、すべての日本人デザイナーに共通する特徴など存在しないと述べ、自分の創作は過去のファッションや特定の文化的共同体に影響されたものではないと語ってきました。興味深いのは、アメリカやフランスのデザイナーが「アメリカ人デザイナー」「フランス人デザイナー」と一括りにされることは少なく、個人名で語られる点です。川久保は、ファッションの中心国とそうでない国との間に、語られ方の非対称性があることを鋭く指摘しています。

このような国籍によるカテゴリー化は、日本に限った現象ではありません。ベルギーのデザイナーたちはかつて「アントワープ派」としてまとめて紹介され、イギリス出身のデザイナーたちは「ブリティッシュ・インヴェイジョン」と呼ばれました。新たに国際舞台に登場したデザイナーたちは、まず地域や国籍で分類され、その後に個人として評価される傾向があるのです。特に非西洋圏から現れた場合、その文化的差異は強調されやすくなります。

問題なのは、「日本人デザイナー」という呼称が、単なる説明を超えて、創造性の意味づけを固定してしまう点にあります。デザインが持つ多義性や個別性は、「日本的」「東洋的」といった言葉によって回収され、理解しやすい物語へと整理されてしまうのです。三宅、川久保、山本が感じていた違和感は、まさにこの点にありました。

彼らは日本人であることを否定していたわけではありません。拒んでいたのは、外部から一方的に与えられるラベルによって、自分たちの仕事が説明し尽くされてしまうことでした。「日本人デザイナー」というカテゴリーへの抵抗とは、国籍を消すことではなく、創造の意味を誰が定義するのかという主導権を守るための実践だったと言えるでしょう。

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