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第7回:文化的アイデンティティは固定できるのか

パリのファッション界で「日本人デザイナー」と呼ばれるとき、多くの人はすぐに三宅一生や川久保玲、山本耀司を思い浮かべるでしょう。しかし、彼ら自身にとってこの呼称は、必ずしも素直に受け入れられるものではありませんでした。コレクションの革新性や実験性が評価される一方で、「日本的」という枠に収められてしまうことへの違和感。これは単なる個人的な感情ではなく、文化的アイデンティティの本質をめぐる問題に直結しています。

ここで参照できる理論が、文化研究者スチュアート・ホールによる「非本質主義的文化アイデンティティ(non-essentialist perspective of cultural identity)」です。ホールは、文化的アイデンティティを固定的で変わらないものとして捉える考え方に疑問を呈しました。従来の見方では、ある国や民族の文化は「元からあるもの」とされ、その本質は変わらないと考えられてきました。しかしホールは文化的アイデンティティを固定的な本質としてではなく、「常に生成の過程にあるもの」として捉えました。彼はアイデンティティを「決して完成することのない『生産(production)』であり、表象の内部で構成されるもの」と述べています(Hall 1990)。さらにホールは「identity」よりも「identification」という語を好み、アイデンティティを固定された実体ではなく、言説や実践の中で一時的に結びつけられる位置取り(positional)として理解しました(Hall 1996)。この意味で、文化的アイデンティティは発見される本質ではなく、歴史的・言説的関係の中で構築されるものであり、しかもそれは常に複数的で、断片的で、戦略的なものなのです。

この視点から見れば、「日本人デザイナー」という言葉は本質を示すラベルではなく、ある時代・ある文脈で社会的に構築された言説に過ぎません。1970年代以降、パリのファッション界では日本出身であることが一種のブランド価値や個性の印として語られることがありました。しかし、それはデザイナー自身の表現が本質的に「日本的」であることを意味するものではありません。外部の視点が作った枠組みにより、一時的に「日本性」が固定化されていたのです。

三宅一生、川久保玲、山本耀司が抱いた違和感は、まさにこの構造に起因します。彼らの創造が固定化されたアイデンティティに回収され、単なる「日本的」として理解されることに抵抗したのです。川久保のコレクションは「日本的ミニマリズム」と評されることもありましたが、彼女自身はその枠に収まらない自由な実験を追求していました。三宅や山本も、世界市場での評価や批評の目線に縛られることなく、表現の自由を守ろうとしました。

ここで大切なのは、日本性を否定することではありません。ホールの非本質主義的視点を取り入れることで、日本性を可変的で交渉可能なものとして捉え直すことができます。固定的なイメージではなく、時代や文脈に応じて変化しうる多層的な属性として理解するのです。これにより、デザイナーは外部の評価に依存せず、自らのアイデンティティを戦略的に活用できるようになります。

実際、この可変性を前提にすれば、日本性は「武器」として、あるいは差別化戦略として再構築可能です。あるコレクションでは、伝統的な素材や技法を前面に出しながらも現代的に解釈して提示することで、国際的な文脈で独自性を際立たせることができます。また、固定的な日本文化の象徴を敢えて避けることで、自由な表現を保つことも可能です。こうした戦略的なアイデンティティ操作は、単なるブランド戦略ではなく、文化的表象の中での自己認識と交渉の結果として理解されます。

つまり、「日本人デザイナー」という呼称に感じる違和感は、創造者自身の表現と社会的評価の間に生じる緊張を映し出しています。この緊張こそ、文化的アイデンティティを非本質主義的に理解する出発点です。ホールの視点を借りれば、文化は固定的なカテゴリーではなく、変化する交渉の場として理解できるのです。

そしてこの理解の先に、デザイナーは自らのアイデンティティを戦略的に操作し、文化的資源としての日本性を自在に活用する可能性を見出せます。この議論は、次回以降で扱う「日本性を戦略的に再構成する実践」への橋渡しでもあります。固定されたアイデンティティを問い直すことから始まる創造のプロセスは、ファッションだけでなく、文化全般の理解にも新たな視点を提供してくれるでしょう。

参考文献

Hall, Stuart (1990) 'Cultural Identity and Diaspora', in Rutherford, Jonathan (ed.), Identity: Community, Culture, Difference. London: Lawrence & Wishart.

Hall, Stuart (1996) 'Who needs identity?', in Hall Stuart and du Gay, Paul (eds.) Question of Cultural Identity. London: Sage

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